がっさいごっそい

・夫婦で執筆中 夫:18歳から慢性前立腺炎を患い、強烈な痛み、排尿の勢いの弱さに悩まされる。 なんとか痛みもなくし、排尿の勢いも取り戻したが、いつまた症状がぶり返すのかとおびえる毎日。 妻:娘がまだ虫歯になったことがないのが自慢。 (記事:http://www.suida-log.com/entry/clean-tooth)

高校時代僕はいつもひとりぼっちで、集団行動なんてできなかった

memory

高校時代は地獄だった。

今思い返してもよく通い続けることが出来たな、と思う。

ホント卒業まで長かった。

1. 幼い頃の自分

小学4年生までの自分は、とっても活発で、クラスで積極的に意見を発していた。

人気者の男子と一緒に下校もしていた。

それが小学5年生ごろから突然変わってしまった。

急に引っ込み思案になってしまったのだ。

会話もうまく続かず、

「N井くんて暗いね」

と同じ班の女子に言われる始末。

なぜこうなってしまったのか自分でもわからない。

気付いたらそうなっていた。

2. 中学生時代

それでも中学生生活は楽しかった。

僕の中学は同じ小学校の生徒が丸々同じ中学校に進み、外部からの生徒が一切入ってこなかった。

そのおかげで無邪気だった小学4年までの貯金で、友達も結構いた。

部活も県大会で優勝するような部に入っていたので、厳しい練習の毎日に悩む暇もなかった。

僕はおとなしくもあり、喋り好きでもある。

いったん仲良くなればトークもはずむので、仲間がいる部活の存在は大きかった。

しかも中学は偏差値の低い子から高い子までまんべんなくいる。

人間性が多様なのだ。

すごいイケメンで、勉強は出来ないけど女子に大人気のH野くん。

早稲田の付属高に進学した、勉強が出来るのに面白く、しかも超絶やさしいM輪くん。

生徒会長も務め、頭も顔も良いという完璧超人のN仲くん。

そんな尊敬できる人がたくさんいた。

環境ってホントに大事で、そういう尊敬できる人間がいると自分も引っ張られて前向きになれた。

3. 高校時代

しかし高校はそうはいかなかった。

自分は可もなく不可もないレベルの学力だったので、進んだ高校もそんなだった。

結局、中庸な高校には中庸な生徒しかいなかった。

この人すごいな、

なんて尊敬できるクラスメートは皆無だった。

中学校生活と比べては、ため息をつく毎日。

もちろん周りのせいではないし、そういう高校に進んだのも自分。

すべて責任は自分にあるのだが、だから何かが変わるというわけでもない。

「周りのせいにするな。自分次第だろ」

なんて正論を吐かれてもどうすることもできなかった。

小中学校と違い、高校は0から人間関係を作らなければならないので1人も仲良い友達なんて出来なかった。

そのせいでクラスを離れ別の場所で授業を受ける移動教室の時は、いつも1人で行動していた。

しかも1人で行動してるのが周囲にばれるのが嫌だ、というちっぽけなプライドもあったので、集団の少し後ろにくっついてあたかも一緒に移動してるかのようにしていた。

昼食の時間も悲惨だった。

当然食堂に行く友達なんていない。

クラスにいることも出来ず、食堂で1人ぼっちで食事をするわけにもいかず、昼食の時間はいつも図書室で本を読んでいた。

周囲に気付かれないように本棚の奥で。

そんなんだから、高校時代昼食を食べるということがほとんどなかった。

3年間昼食を食べなかったので相当節約にはなった。

ぼっち節約だ。

心は相当すり減らしたけど。

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高校2年

そして高校2年。

時間が過ぎるのが亀の歩みのようにスローモーションに感じられる毎日の中、ついに登校拒否をしてしまった。

いつもどおり家を出るのだが、学校には行かず家に戻る。

両親は働いていたので家にはいない。

毎日ではなかったが頻繁にそんなことを繰り返していた。

ホント明日が来るのが恐怖でしかたなく、テレビを見続けることでひたすら明日を考えないようにしていた。

そのせいで相当視力は落ちた。

そんななか、今日も今日とて登校拒否をしていたら突然母親が家に帰ってきた。

びくっとする僕。

学校どうしたの?

と当然の質問をする母。

今日は早く終わったんだよ。

僕は苦し紛れの言い訳をしてその場を去った。

その場は何とかやり過ごせたが、父親が帰宅して状況は一変した。

母が先生に状況を確認したらしく、すべてがばれ父に呼ばれた。

そこに座れ。

いいよ。

座れって言ってんだろうがっ。

顔を真っ赤にして父親は続けた。

「今の時代、最低でも高校は卒業しないと就職できない。つらくても明日から必ず学校に行きなさい」

それは高校2年の2学期の出来事だった。

そして、その日以降の高校2年生の記憶がない。

思い出そうとしても全く思い出せない。

どうやって学校に行っていたのだろうか。

どうやってクラスで行動していたのだろうか。

最悪の修学旅行

そして今思い出しても寒気がするのが修学旅行だ。

修学旅行は登校拒否をする前に行った。

3泊4日も集団行動しなくてはいけない修学旅行。

凶器の沙汰である。

今思い出してもよく逃げ出さなかったなと思う。

全く仲良くない人たちと過ごす旅館、クラスでの移動、班での移動を供にするのは地獄以外のなにものでもなかった。

特に旅館にいるときが地獄がだった。

自分の部屋は5人で1部屋だったのだが、そこに他の部屋の男子や女子がぞろぞろやってくる。

もちろん、そんな部屋にいられるわけもないので部屋を出る。

しかし行くところがない。

おみやげコーナーのようなみんなが集まっている場所に行けば、ぼっちの異様さが際立つだけ。

結果どこにも行けず、誰もこない階段でずーっとひっそりしていた。

僕は京都まで来て何をしているんだろう?

しかしそんなことは考えるだけ無駄である。

ただひたすら心を無にするのみだった。

高校3年

そして高校3年生に進学

高校3年になっても相変わらず地獄生活だったが、すこしだけマシになった。

4月は名前の順で席が決められている。

僕の目の前の席にいたW田くんと非常に仲良くなれた。

学生時代、クラスでは階級ができる。

そのピラミッドの1番上のグループに属していたW田くんだが、なぜか自分にも積極的に話しかけてくれた。

ナイスガイだった。

彼の存在で高校3年生はなんとかやり過ごせた。

1人でも友達がいるとこんなにも違うんだなと強く感じる。

もちろん常に一緒にいるわけではないので、相変わらず昼食や移動教室の時間はつらかったが。

高校卒業

そんなこんなで高校卒業。

今また高校時代をやり直せ、と言われても絶対に無理だ。

ホントよく通い続けた。

勉強なんてしようと思う心の状態じゃなかったから、偏差値も相当下がった。

もちろん大学に行ったって、高校時代の二の舞になるから行くこともしなかった。

だからすぐさま就職。

しかし就職先ではうまくやれてる自分がいる。

なんでだろう。

この辺のことについては後日書きたい。

最後に

僕がもしあの時の登校拒否した自分の親だったら、どういう対応をしただろう。

コミュニケーション能力に問題をかかえている人間は、いつの時代も一定数いる。

それにしても日本はその割合が多すぎる。

日本人は江戸時代や戦前からコミュニケーション能力が低かったのか。

それともどこかで変わってしまったのか。

他国と比べて何が違うのだろう。

その原因を探り、本気で対策しないとこれからもコミュ障を大量に生むことになってしまう。