がっさいごっそい

2人の女の子を育てています。夫婦で興味のあることについて書いていきます。

尊敬出来る人間が身近にいるということ

尊敬出来る友達

尊敬できる人が身近にいることは本当にありがたいことだ。

人間は弱いので、周りが不平不満を常に言っているような淀んだ空気の中にいると自分もだんだんその空気に染まってきてしまう。

逆に向上心にあふれる仲間のそばにいると自然とやる気に満ちあふれてくる。

中学生時代

学生時代を振り返ると中学3年生の時が素晴らしい環境だった。尊敬できる人が周りに沢山いたのだ。

W辺君は、やさしくて頭の良い面白い人だった。

修学旅行の時にクラスの男子は2グループに分かれたのだが、ぼくはW辺君と一緒のグループだった。

部屋にいる時皆で沢山写真をとったのだが、修学旅行が終わってから一人一人に写真を現像してさりげなくプレゼントしてくれた。

結構なお金がかかったはずだが、料金のことなど一切言わず皆に配っていた。このような配慮が出来る中学3年生はなかなかいない。

W辺君はかなり頭が良く、しかも面白い人で、クラスでも常に笑いをとっていた。

そしてN仲君である。彼も頭が良くテストでも常にトップの成績をとっていた。

しかもイケメンで性格も良くて明るいという完ぺき超人だった。

クラスでちょっと度が過ぎるいじられ方をしている人がいた時はやんわりと、いじってる人を制止したり、誰にも分け隔てなく明るく接していた。

彼と接していると自分もこうなりたいと自然と思えてくる。

逆にぼくの高校時代は、この時と真逆の環境で残念ながら周りに尊敬出来る人が一人もいなかったので向上心もなくなっていた。

もちろん周りのせいにするわけではないが、人間は環境に抗うことは不可能だ。自分を向上させたいなら良い環境にいることは必須だ、と悟った。

U越君はとにかくイケメンだった。顔も性格もすべてがイケメンという完璧な人だった。

U越君の周りには常に女の子が群がっていた。あんなに女の子に囲まれている人を見たことがない。それぐらい魅力的な人だった。

他にも中学3年時は多くの素晴らしい人達がいた。

その時は分からなかったが、自然と前向きな気持ちに毎日なれていた。そのような好循環の環境は人間を成長させてくれる。

偏差値の高い学校に行く意味

ぼくの高校の選び方は酷いものだった。

あまり真剣に考えずに、「今の学力ならここの高校かな」ぐらいの軽い気持ちで進学先の高校を決めてしまった。

やはり、そういった気持ちで選んでしまった高校は同じような人種が多く個性のバリエーションが全く無かった。

そういった環境では自らの向上心が湧きあがってくることもない。

これは他人のせいにしているとかそういった類の話ではなく、自分一人だけで成長しようと思っても到底無理ということだ。

例えば、野球チームの力を伸ばそうとする時に、下手クソ同士でやっても一向に力が上がら無いのと同じで、かならず上手な人が中にいなけらばならない。

偏差値が高ければ高い高校ほど、努力しなければ入学出来ないわけで、そういう学校には当然努力家が多く集まる。

そういう向上心に満ち溢れた人たちが作りだすポジティブな空気は、自然と己も高めてくれるし、やる気にさせてくれる。

自分は中学3年時の周囲にいた人間が素晴らしすぎて、高校でそれを再認識させられた。

周囲にだらけた人達しかいない環境はかなりつらいものがある。

環境選びをする時は、妥協せずしっかりと意識を高くして臨むべきだ。